あの感動をもう一度!
大正15年、浜松市の工業学校の一室で、信じられない実験が行われた。手書きの「イ」の字を電子画像に映し出すというテレビ実験。歴史的 な快挙だった。挑んでいたのは若き研究者、高柳健次郎。ここからテレビの時代は始まった。
高柳は一人で電子カメラの開発に挑んだ。最大の壁は撮像管。カメラの中で動く映像を捉える要の部品。8年間研究したが、辿りつけなかった。ある日、アメリカで撮像管が完成したというニュースが飛び込んだ。開発したのは世界有数のラジオメーカーRCA。アメリカに渡った高柳は衝撃を受けた。電子工学やガラス加工、真空管技術、各分野の技術者数十人が集まり、撮像管を完成させていた。帰国した高柳は、技官や学生など20人を集め、プロジェクト型開発に挑み始めた。そして1年後、独自の撮像管が完成した。
間もなく、日本放送協会から昭和15年に東京で開催されるオリンピックに向けて、テレビの開発を依頼される。高柳はプロジェクトのメンバーとともに浜松を離れ、東京のNHK技術研究所で、放送実現に向けて開発に邁進する。しかし日本は戦争への道をひた走り、オリンピックは幻に消えた。テレビ放送開発は中止、プロジェクトチームも解散を余儀なくされる。高柳は海軍に徴兵され、レーダー開発を命じられた。
そして終戦。高柳は「日本の復興のためにテレビを産業に育てよう」との思いを胸に抱く。ところがGHQから「テレビ研究は電波兵器につながる。禁止だ」と拒否される。さらに高柳自身、戦争協力者だとして職を追われてしまう。
しかし高柳は諦めなかった。GHQから研究禁止が解除されると、メーカーの壁を越えてプロジェクトの結成を呼びかけ、テレビ開発を再開。昭和28年2月1日の日本初のテレビ放送開始に向けて動き出す・・・。
テレビに賭けた一人の技術者とそれを支えた仲間たちの30年にわたる壮大なドラマ。