あの感動をもう一度!
「もはや戦後ではない」といわれた昭和30年は、東京への一極集中が始まった年だった。年間30万人ずつ膨れ上がる東京の人口。国は日本住宅公団を設立し、住まいの大量供給に乗り出したが、住宅一戸あたりの建設費はおよそ70万円、床面積は13坪がギリギリであった。
「狭いながらも楽しい我が家」は造れないだろうか・・・。男女3人の建築家が、1センチもおろそかにせずにすむ設計に取り組むことになった。公団の初代住宅計画部課長・尚明(しょう・あきら)氏は、沖縄・琉球王朝の流れをくむ名家に育ったが、戦災で家を失い、バラック住宅での生活を続けており、北側の寒い台所で震えながら炊事をする妻・道子の姿を見て、南側にキッチンを作る設計を提案。さらに残業や早朝出勤をする都会生活者の暮らしを研究する中で、台所に椅子とテーブルで食事を取るスペースをつけたダイニングキッチンの構想が固まっていった。
都会暮らしの憩いの場として、家庭の主婦が働きやすい空間として生み出された「ダイニングキッチン」。宝くじに当たるより難しいといわれ、人気を集めた「ステンレス流し付き公団住宅」のプロジェクトとその背景にあった夫婦愛の物語を伝える。